最高裁判所第一小法廷 昭和24年(オ)112号 判決 1953年4月23日
主文
原判決を破棄する。
本件を福岡高等裁判所に差戻す。
理由
上告代理人弁護士前川末広の上告理由について。
原判決が上告人の「仮りに大八に従前代理権があつたとしても、原告は、本件売買契約前の昭和二〇年八月一三日既に戦死しているから、その時に大八の代理権は消滅している。」との主張に対し、所論摘示のように判示してその主張を排斥したことは、所論のとおりである。そして、成立に争のない乙第三号証(熊本市長の戦死証明書)並びに甲第六号証の一(比島課長の死亡認定に就いての回答)二(認定官留守業務局長の死亡認定理由書)によれば、乙第四号証岡本覚の戸籍抄本中の「昭和二〇年八月一三日時刻不明比島ルソン島マウンテン州カラパンで戦死熊本県知事桜井三郎報告同二三年一〇月八日受附」なる記載は、原告(被上告人)が諸般の状況によりその所属していた南方軍築城支部が作業に従事した最終日である前記日時、場所附近で戦死したものと認定する旨の認定官の認定に基き戸籍法八九条の報告により登載されたものと認定すべきであり、かかる場合原告は、反証のない限り右戸籍簿登載の死亡の日に死亡したものと認むべきである。しかるに、原告が右戸籍簿の記載と異り現に生存し又は本件売買成立の日である昭和二一年二月二八日以降まで生存していたこと等の事実を認定することなく、原判決が、所論摘示のとおり判示したのは、証拠の判断乃至法則を誤つたものというべく、爾余の論旨に対する判断を与えるまでもなく論旨第一点はその理由があつて原判決は破棄を免れない。しかし、原判決は、岡本大八が原告の父として、原告の応召出征するに際し、原告からその後事一切についての包括的代理の委任を受けた事実を認定しているのである。そして、右にいわゆる「包括的代理の委任」により、右大八は原告の委任による不在者の財産管理人たる地位にあつたものと認め得ないとは限らず、しかも、右大八と原告とが父子の関係にあり且つ原告が応召出征に際しての授権であるというような特別の事情からして、右授権は、財産管理人として右大八の有する代理権は、必ずしも原告の死亡によつて消滅しない趣旨においてなされたものと解する余地もないわけではない。そして、本人の死亡を代理権消滅の原因とする民法一一一条の規定は、これと異る合意の効力を否定する趣旨ではないと解すべきであるから、原告がたとえ戸籍簿に記載のある昭和二〇年八月一三日死亡したとしても、これがため前記趣旨においてなされた合意に基く右大八の代理権は消滅しないものと解し得ないとは限らない。又かかる場合、右大八が原告死亡後原告の代理人としてなした本件売買の効力は実質上原告の相続人のために生ずる筋合ではあるが、本件死亡するも代理権消滅の通知なき限り法定代理権の消滅なきものとする民訴五七条及び本人の死亡による訴訟代理権の消滅を認めない民訴八五条が、何れも、かかる場合法定代理人又は訴訟代理人の訴訟行為の効果を実質上死亡者の相続人に帰属せしめることを容認するものと解せられるから、右大八が原告の生死不明の間に、改めて裁判所により原告を不在者とする財産管理人に選任せられ、その許可を得て本件訴訟物を原告の権利として提起した本訴においては、たとえその後において原告死亡の事実が判明した結果、右権利が実質上原告の相続人に帰属するものと認めざるを得ない場合においても、原告の当事者としての適格を否定すべきでないと解することができる。従て、本件については、なおこれらの点につき審理判断の必要があると認められるから、民訴四〇七条に従い、原判決を破棄し、本件を原裁判所に差戻すべきものとし、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 斉藤悠輔 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 岩松三郎)